【狩女子】狩猟×映像。YouTubeって何? 誹謗中傷は?
【第30回】都内の美人営業マンが会社を辞めて茨城の奥地で狩女子になった件
■誹謗中傷。YouTubeを始めてつらかった事
YouTubeに限らず、情報発信をしていくにあたって私が一番つらかったことですが、「皆が皆、私と同じ考え方ではない」こと、そして「その同じ考えで無い人たちの中には、違う考え方を排除しようとする人達や敵意をむき出しにする人達がいる」ということを身をもって痛感したことでしょうか。「狩猟」というのは命を扱うとても繊細な内容です。“命を奪いに行く私”に対して、“命を奪わせたくない人々”も、もちろん居ます。難しい問題です。彼らを簡単に否定することはできません。たったひとつの物事でも、立場が変われば考え方や捉え方は千差万別です。なにが“善”で何が“悪”かを私の立場で一方的に決めることはできません。
一時期は毎日のように誹謗中傷を受けることもありました。私が発信した内容に沿った「ご指摘」や「異論」などは今後の情報配信の参考・改善に繋がりますのでとても嬉しい事ですが、辛かったのはやはり、一方的な「死ね」や「呪ってやる」「殺してやる」等の暴力的な文言でしたね。普通に生きていたら、まず他人から言われ慣れることが無い言葉です。一時期はあまりの過激さにハゲたり(!?)、気分が落ち込んだり情報発信をやめようと思ったほど悩みましたが、最近ではあまり気にならなくなりました。彼らは彼らで一生懸命に正義を貫こうとしていることに気が付いたからです。
また、彼らの中に「自分が悪意を持って誹謗中傷している」と自覚がある人は少ないように思います。正義感の強い彼らは、正義の名のもとに“悪”である私を屈服させ排除しようとしている“だけ”なんです。なので彼らの中で“悪”である私が反論したところで彼らの考え方は変わりません。(むしろ火にガソリンを注いでいるようでしたね……。)
だからと言って誹謗中傷は許されていいとは思っていませんが、私も私なりに信念をもって情報発信をしているので、私の考えも彼らに何を言われたところで変わりません。
それに私は“命”に対して“無頓着”であることこそが一番悲しい事のように思います。―かつての私のように。そう思えたときに、ようやく“命”をめぐる論争から起因している誹謗中傷はあまり気にならなくなっていました。おそらく私が誹謗中傷されるように“命を奪わせたくない人々”の中の情報発信者も、それなりに誹謗中傷されているのだと思います。お互いに誹謗中傷のない世界になればいいなぁ、と心から思います。